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最終話 本当に好き?
ジュリアさんと俺が、ソファを立ち上がったとき、すごい剣幕の長髪美形がやってきた。見た目からして外国人らしい。
誰もが振り返ってしまうような腰まである華麗な銀髪は振り乱れ、薄紫色の淡い瞳は困惑の色を浮かべていた。黒の燕尾服の裾が、長い脚の動きにあわせて大きく翻る。
彼は、ジュリアさんの元へくると大きく息を吐いた。彼は意外にも流暢な日本語を紡いだ。
「お嬢様、全くどうして貴方はすぐに居なくなってしまわれるのですか。これだから、私は塾などに通うことを反対したのです。家庭教師をつければ、よいことを。こんな夜分に、突然車から飛び出されたのでは私、心労が絶えません。さぁ、早くお車にお戻り下さい」
ジュリアさんは、取り乱す麗人を嗜めたあと、彼を俺に紹介した。
「渋谷君、挨拶もしない非礼な執事をお詫びするわ。こちら、私の執事のギュンターよ」
「し、執事?!」
ひつじじゃないことは確かだけど。あまりにも、自分の世界とはかけ離れたその単語に、素っ頓狂な声で叫んでしまった。ジュリアさん、さすがお嬢様だ。
ギュンターという長髪の美形外国人さんは、身なりを整えると深々とお辞儀をした。
「申し訳ございません、お嬢様のお連れ様」
「いえいえ、そんな。顔を上げてください。元はといえば彼女が俺を、助けてくれたんですよ。俺は渋谷有利って言います、彼女の友人です。よろしくです」
にっこりと、彼に微笑みかけた。
そこまでは、彼はクールで美形な人だと思っていたのに。
「こ、これは大変お目麗しい・・・・・・ぐはっ」
彼は、顔をあげて俺の顔を見た途端に、鼻にハンカチを当てた。
「もう、およしなさいよ、ギュンター。ごめんなさいね、渋谷君。彼は、好みの人を見ると、鼻血を出す癖があるのよ。でも、鼻血を出すなんて久しくなかったのに。よほど、彼に気に入られちゃったみたいね、渋谷君」
彼女は、にっこりと微笑んだ。いや、いくら美形でも男に鼻血を催されるのは勘弁です。女の子に鼻血を催されるのも微妙だけど。
「それにしても、いいタイミングで来てくれたわね、ギュンター。私達をコンラッド先生の道場へ連れて行って頂戴?」
「い、今からですか?!」
再び狼狽する彼に、俺からもお願いした。
早く、先生に会って謝りたい―― !
「ギュンターさん、どうかお願いします」
いかにも白色人種らしい真っ白で綺麗な手を掴みながら、俺もお願いした。彼は長身なので、必然的に上目遣いで見上げることになる。
見た目はクールビューティな筈の彼は、鼻息を荒げた。
「坊ちゃんのお願いとあらばこの執事ギュンター、喜んで協力いたします!」
「いや、だから俺はあなたの坊ちゃんじゃないんですけど・・・・・・。でも、ありがとう!!」
ジュリアさんが楽しそうにくすくすと笑っていた。
そう、ここまではとても和やかな展開だったのに。
「そんな、どういうことですか?!私、ここの道場生のスザナジュリアという者よ。おまけに、コンラッド先生の塾での生徒よ。怪しい者ではないわ」
「そういわれましても、あいにく今夜はどなたも通すなと言われておりますので」
「俺も、コンラッド先生に英語を教わっている渋谷有利と言います。どうしても、先生にお話したいことがあるんです! どうか、彼に会わせてくださいっ!」
先生の家は、国指定等文化財に登録されそうなほどの立派な日本家屋だった。
けれどそのまわりは高さ150センチほどの塀でぐるりと囲まれていた。低い石垣上に築かれた塀は威圧的だった。
古式ゆかしい立派な門には、防犯用の現代的なインターフォンが備え付けられていた。俺たちの姿はきっとあちらのモニターに映っていることだろう。
それにもかかわらず、俺たちは足止めを食っていた。
先程から、しつこいセールスみたいに何度も先生に会わせてほしい、とインターフォン越しに繰り返していた。けれど、使用人らしき低い男の声が、頑なに俺たちを拒絶した。
先生の家は、閑静な高級住宅街に居を構えている。
これ以上、騒ぎ立てては先生に迷惑をかけるかもしれない。
そもそも、今日どうしても謝らないといけないわけではない。それなのに、自分の勝手な思いだけで、こんな夜分に会いたいというのは、失礼極まりないのではないか。
不意に、自分の無鉄砲な行動に後悔の念が沸き起こった。
そうだよ、こんな夜分に失礼だった。明日、塾で先生と、きっちり話そう。
俺は、インターフォン越しに非礼を詫びると、しぶしぶ門から離れた。
ジュリアさんの好意で、ギュンター氏の運転で渋谷家まで送ってもらった。
家に帰ってから、先生の携帯に電話を掛けてみた。時間を置いては何度もかけてしまった。
けれど、聴こえるのはいつも同じ無機質な女性の声。
―― この電話は、電源が入っていないか、電波の届かないところにいるため掛かりません・・・・・・。
もうこのガイダンスは聞き飽きた。
どうして、こんなに繋がらないんだ?!どうして、どうしてだよ?!
こんなに、先生に気持ちを伝えたくて堪らないときに。
門前払いはされるし、携帯は繋がらないし。
焦れる気持ちは、いつしか不安に変わっていった。
パジャマ姿の俺は、ベッドの上に突っ伏した。
何かとんでもない事態が先生の身に起こっているのか?
いや、そんな不吉なこと考えるのはよそう。明日は普通に、塾で先生に会えるんだから。とにかく、今は寝よう。
けれど漠然とした不安は、いつまでも胸に渦巻いて消せなかった。
寝返りを打つと、不意にベッドのスプリングが軋んだ。
そういえば、このベッドの上で先生に初めて・・・・・・抱かれたんだ。
俺の馬鹿、何で今そんなこと思い出してるんだよ。
いや、こんなときだから思い出しちゃうのか?
胸が熱くて、でも歯痒くて―― 切ない雫が頬を濡らした。
俺の馬鹿やろ・・・・・・。
ようやく眠りにつけたのは、小鳥の囀りが聴こえる朝方だった。
******
今日の塾の講義は、午前中からだ。
お袋に行って来ます、と告げて玄関を開けた。寝不足の身体に朝の陽射しは、堪える。
まして、終わりかけとはいえ夏の朝陽は。
けれど、コンラッド先生に遭えると思うと気持ちが弾む。澄んだ水色の空から降り注ぐ陽射しは、きらきらと輝いて、俺に元気をくれた。
きっと、今日はいいことがある!
叫びたい気持ちを抑え、代わりに小走りで駅に向かった。
早くコンラッド先生に会いたい!!
空調のよく効いた、いつもの塾の教室。隣にはジュリアさんもいる。
でも、どうして?
教壇にいるのは、塾長。七三分けの中肉中背のおじさん。
「コンラッド先生は、結婚式のため国に戻られた。急遽、式が決まったようなので、次の先生が決まるまで私がクラスを担当する」
途端にクラスにざわめきが起こる。
けれど、俺の頭の中は真っ白でクラスメートが何を言っているのか、聞こえてこない。
気がついたら、教科書を鞄にしまっていた。咄嗟に椅子から立ち上がった。
そのとき、隣のジュリアさんが、俺にポーチを手渡した。
「よかったら、これを使って。ユーリ」
「―― ありがとう!」
中身を確認する余裕は無かった。けれど、彼女が初めて俺のことを名前で呼んでくれた。
その眼差しは、俺を応援する暖かいものだった。
思わず、心が打たれた。彼女に、にっこりと微笑み返すと、一目散に教室を飛び出した。
気ばかりが急いて、脚がもつれそうになりながら、駅のロータリーを目指す。黒光りするタクシーに怖気づきながらも、乗り込んだ。
「眞成田空港までお願いします」
荒い息で、行き先を告げると運転手は、こちらを見ることもなく不機嫌そうに車を出発させた。どうやら、ひどい運転手に当たってしまったみたいだ。
もうこの際、そんなことはどうでもいいんだ。空港にさえ行ければ、いいんだ。
タクシーの運転手は、世間話の一つもしてくれない。それどころか、当たり前のように高速道路に乗った。さすがに、俺は慌てた。
「あ、あの、すみませんっ!! どうして高速に乗るんですか?!」
「下道で行くと四時間近くかかるからだ」
横柄すぎる態度で、運転手は、そう告げた。一応、俺、客なんですけど。そりゃ、高校生だけどさ。それにしてもっ。
「よ、四時間っ?!高速なら、どのくらいなんですか?」
「二時間ほどだ」
客と運転手という力関係は、完全に崩壊したらしい。すっかり、彼に降参してしまった。
「高速でお願いします・・・・・・」
俺は、力なくそう呟いた。
彼の横柄な態度と自分の無計画な行動に、心が萎えた。
やりきれない気分になった。
窓から見える景色は、ものすごいスピードで後ろへ流れていく。
俺の気持ちも、後ろ向きになっていく。
畜生。どうして、俺はいつも、後先考えずに行動してしまうんだ。
こんな、高速に乗っても2時間もかかる空港に、思いつきで行こうとするなんて。
おまけに、先生が空港にいる可能性なんて、限りなく低いって分かってるのに。
昨日の夜から、先生と携帯が繋がらないんだ。昨夜のうちに、飛びたったのかもしれない。おまけに、先生が今日出国するにしても、今から追いかけて間に合うかも分からない。
そしてなにより、一番考えたくないことが思い浮かんだ。
俺に嫌気がさして、他の人と結婚を決めた先生に、今更俺にもう一度振り向いて貰うことなんてできるんだろうか?いくら、空港まで行って引き止めたところで・・・・・・。
暗く不安な気持ちは、留まることを知らずに溢れてくる。
すっかり、自分を信じる前向きな気持ちが、消えていきそうだった。
車は、眞成田空港の第一ターミナルに横付けされた。
「二万五千円」
無愛想な運転手の声が、俺に追い討ちをかけた。
「に、二万五千円?!」
頭からさっと血の気が引いていくのが分かった。相変わらず、ひどい態度の運転手に怒る気持ちなど沸いて来ない。ただ、困惑するばかり。
どうしよう、俺、そんなにお金持ってない!
「まさか、持ってないなんて言わないだろうな?」
運転手が、眼をギラリと光らせて俺に凄む。まるで、俺の心の声を読んだかのようないやらしいタイミングだ。
俺は、顔面蒼白になりながらも、ふと、ジュリアさんが俺に渡したポーチのことを思い出した。急いで、彼女のポーチを開くとそこには福沢諭吉が3人もいた。
「ジュリアさんーーー!!!借りたお金は返すからーー!!」
彼女の名前と律儀な宣言を、力の限り絶叫した。さすがの運転手も、これには驚いたのか、眼をぱちくりさせていた。何が何やら分からない様子だ。おまけに、俺のあまりの大声に、こめかみを押さえていた。ちょっと、してやったりだ。
その後、運転手にお金を払うと、一目散に自動ドアを通り抜けた。もう少しで、透明のガラスにぶつかるくらいの勢いだった。
ジュリアさんのおかげで、すっかり萎んでいた俺の気持ちは急上昇した。
きっと、先生はこの空港内にいる!
今なら、俺、コンラッド先生ともう一度やり直せる気がする。
自分の直感を信じて、チェックインカウンターのある四階へ向かった。エスカレーターにただ立っているのが焦れったくて、駆け上った。
夏休みの最後に旅行に行こうとする家族連れや、恋人達、団体客でロビーは溢れかえっていた。
この中から、コンラッド先生を見つけるのは至難の業だ。
けれど、搭乗案内ボードを見上げるハリウッドスターがそこにいた。
って、コンラッド先生じゃん!!
先生のいるところだけ、空気が凛としてしている。相変わらずの長身に、彫の深い端整な横顔、凛々しい佇まいに見惚れてしまう。いつもより堅いデザインの黒スーツが、ひときわ秀麗だ。
いけない、見惚れてる場合じゃないだろっ。
俺は、慌てて先生を目指して駆け出した。
人混みをすりかわしながら、先生の姿を見失わないように必死に眼で捉える。
早く先生と話したいのに、人が多すぎて中々近づけない。
けれど、そんなとき、俺は頭を鈍器で思いっきり殴られたような衝撃が起こった。
実際に、殴られたわけじゃないけど、そのぐらいの精神的ダメージを受けた。
コンラッド先生の横に、それこそハリウッド女優張りのセクシー美女が現れた。柔らかそうなプラチナブロンドの巻き毛は、優雅に腰まで下りている。胸を強調させた黒のワンピースが、妖艶に彼女を彩っている。
妖艶な美女は、両手でコンラッド先生の頬を捉えると、口端にキスをした。とても、幸せそうで、とても自然で。
二人の間の深い愛を感じた。
ああ、もう彼女と彼の間に立ち入る余地が無い。
俺は、彼女には敵わない。
とても親密そうに語り合う二人を見ていられずに、俺は踵を返した。
折角、ジュリアさんが応援してくれたのに。
俺が、もっと早く先生の本当の気持ちに気づいていればよかったんだ!!
俺のばかやろう。
不意に、腹の虫が鳴った。情けない音が、よけいに空しい。
こんなときにも、腹って減るんだな。そういえば、今日は昼ごはんを食べて無かったもんな。
やりきれない気分で、一番手近の持ち帰り専門のファーストフード店に並んだ。お姉さんの笑顔が眩しい。
ごめんなさい、暗い客で。何せ、俺、ただいま失恋中。それどころか、元恋人が、今から外国で結婚しちゃうんだ。
「ハッピーセットでお願いします」
そうだよ、せめて食べる物くらい、幸せなネーミングを選びたい。
僅かに、お姉さんの眉が顰められた気がした。何だよ、俺にはハッピーなものは似合わないのかよ。
ますます気分が沈んだ。
待つこと五分。ハンバーガーセットとは別に、小さな熊のぬいぐるみを渡された。
熊なのに、触覚と羽が生えていて、黄色と黒のボーダーのパンツを穿いている。くまと蜂が合体したみたいなぬいぐるみだ。
「ど、どうしてぬいぐるみが?」
「くすっ、ハッピーセットについてくる『くまはち人形』ですよ」
バイトのお姉さんは、やっぱり知らなかったのね、という顔で笑った。どうやら、ハッピーセットとかいうやつは、子供用のセットで、ぬいぐるみがついてくるらしい。
「なんだ、そっか」
俺は、少し笑った。よかった。俺、別にハッピーなものが似合わない訳じゃなくて。
少しだけ、気分がほっとした。けれど、そんなことで立ち直れるほどの浅い傷じゃない。
俺は、塞ぎこんだまま、ロビーの椅子に腰掛けた。
ふと外の景色を見た。大地には、大きな旅客機が、待機している。その上には、どこまでも続く蒼い空。白い雲と雲の合間には、遥かかなたに旅立った飛行機の航跡が潔く描かれる。
目頭が熱くなった。
―― きっと、もう先生は俺の元には二度と来ない。
―― 違う世界の人になったんだ。
―― ユーリ!
突然、大好きな声が聴こえた気がした。
俺は、地面を蹴り上げるように、立ち上がった。乾く眼も厭わずに、眼を見開いたまま周囲を見回した。
けれど、彼の姿は見つけられなかった。
「はは・・・・・・、とうとう幻聴まで聞こえたよ」
自虐的に呟いた。
どうあがいても、世の中には、どうにもならないことだってある。
彼には、彼の人生がある。
俺は、ほんの少しでも彼の人生に、何かを残せただろうか。
―― そうだったら、いいな。
今は、俺の目の前にあることを一つずつ片付けていこう。
ハンバーガーの包みを取り出して、噛り付く。空っぽのお腹が、暖かくてもちもちしたパンと、肉汁溢れるハンバーグで満たされる。
美味い・・・・・・。
こんなに、悲しくても、お腹はすくんだ。
悲しくたって、当たり前に、渋谷有利の生活は続くんだ。
コンラッド先生の生活だって、遠い空のしたで、当たり前に続いてるんだ。
全てを平らげて、力強く立ち上がった時。
館内放送で、俺は呼び出された。
インフォメーションセンターに立ち寄った俺は、思いもよらないメッセージを受け取った。
綺麗にお化粧をしたお姉さんが、俺に渡したのは一枚のメモ用紙。
8/30 17:00 BA4625
上記日時、便名にて帰国します。
コンラッド・ウェラー
信じられないことに、先生からの伝言だった。
紙に書いてあるのは事務的な事実。
けれど、決定的な事実。
―― 先生は、3日後には日本に帰ってくる。
嘘、うそ?!
どうしよう、嬉しい!!
さっきコンラッド先生の声が聞こえたのは、気のせいじゃなかったんだ。
俺の姿を見つけたから伝言をくれたんだ!
けれど、ふと我に返った。
いくら先生が帰ってきても、さっきの金髪美女と結婚した後なんだよな。
それでも、俺に帰省日時を教えるってどういうことなんだろう。
いや、考えるまでもないか。きっと、先生の最後の思いやりだよな。
俺が、空港まで押しかけたのを知って、きちんと俺に謝ろうと思ったんだよな。
そうか、そうだよな。
先生には、先生の人生があるんだ。
俺には、今出来ることを、一歩ずつ進んでいくしかないんだ。
悲しみは、時が彼方へ運んでくれるはず。いつか遠い空のしたの想い出になるはずだから。今は、それを、待つしかないけれど。
******
きっと、泣かない。泣いたら、いけない。
先生の結婚を、笑顔で祝福してあげるんだ・・・・・・。
夏休みもとうとう、今日を入れてあと二日。
八月三十日。十七時丁度。
ブリティッシュエアウェイズ4625便。
コンラッド先生のメモを頼りに、眞成田空港の第二ターミナル、到着ロビーにて待つ。どうして、イギリスの航空会社なのか少し疑問だったけれど。だって、先生ってアメリカ人だったよな。
自動ドアが開くたびに、大きなスーツケースと免税店の袋を山のように抱えた乗客達がやってくる。彼らは、自分の家族や友人、恋人を見つけては、はしゃいで駆けつけていく。どうやら、飛行機は時間通りに着陸したらしい。
先生に会えると思うと素直に嬉しい。
きっと、今日が先生と会える最後の日になる筈だけど。それでも、先生に会えるのは嬉しい。
自動ドアが開くたびに、ドキドキしながらコンラッド先生の姿を探してしまう。
けれど、彼はなかなか来ない。
俺の回りにいた、乗客の家族達はいつのまにかいなくなっていた。
さすがに、胸にきりきりと不安が押し寄せる。
先生の身に、何かあったんだろうか。
初めは、ただひたすらに先生の安否が気になった。
けれど今のご時勢、そうそう危険に晒されることなんてない。
俺の中で、ひとつの答えが自然と導き出された。
結婚したばかりだもんな。きっと、奥さんが大切だから、側を離れたくなかったんだよ。
でも、遭えなくてよかったのかもしれない。今、先生に遭ったらやっぱり笑顔で結婚を祝福できなそうだから。
必死に自分に言い聞かせて、気持ちを切り替えた時だった。
「ユーリ!」
自動ドアの方には、誰も居ないのに、大好きな声が聞こえた。
俺、また幻聴を聞いたのか?
不意に、後ろから暖かい身体の中に抱きしめられた。いつもの先生のフレグランスの香りがした。いや、いつもより数段甘くて、胸が痺れた。
先生は、中々俺を腕の中から解こうとしない。聞きたいことはたくさんあるけれど、俺は何も言えずにずっと抱きしめられていた。
先生に抱きしめられた温もりが嬉しくて、幸せで、身体が痺れてしまったように動けなかった。
先生は、一度腕の力を緩めると、俺の身体を先生のほうに向けた。
先生は、黒のタキシードを着ていた。まるで、結婚式からそのまま来たかのようで、胸が痛んだ。
けれど向き合った先生の顔は、今にも泣きそうでその癖、飛びぬけて甘い笑顔だった。ダークブラウンの瞳には、銀の星が賑やかに輝いていて、見惚れてしまう。
「よかった!! 貴方がここに来てくれなかったら、もう諦めるつもりでした。第一ターミナルの到着ロビーに貴方の姿がないとき、もう駄目かと思いました。それでも、もしかしたら、貴方は第二ターミナルで待っているかもしれないと思って、諦めないで来てよかった!」
今度は、正面からきつく抱きしめられた。
一回り大きな身体に抱きしめられると、胸の鼓動が高鳴る。タキシードの上からでも分かる厚い胸板に、顔を埋める。
それにしてもっ。
「も、もしかして、俺って待つ場所が違ってた?!」
顔を見上げて、恐る恐る聞いてみる。
「えぇ、でも紛らわしいですからね。この空港は、航空会社によって利用するターミナルが違うんです。俺が、きちんとメモに書いておかなかったからいけないんです」
「うわっ、ごめんなさい。長旅で疲れてるのに、こんなに煩わせて」
先生は、うろたえる俺の両肩を緩く掴むと、甘く覗き込んできた。綺麗な瞳を縁取る睫毛は長くて、唇は優しく笑みの形を作っていて、思わず見惚れてしまう。
「気にしないで。俺がきちんと伝えないのがいけないんだから。だって、まさか貴方が空港まで追いかけてきてくれるなんて思わなくて。でも、貴方の姿を見つけた時には、もう俺は、セキュリティーチェックを受けていて、貴方のいるロビーには戻れなかったんです。貴方に遠くから呼びかけましたが、流石に聞こえなかったようなので、メモを残したんです」
「先生・・・・・・」
やっぱり、あのとき聞こえたのは、幻聴じゃなかったんだ。でも、何のために?やっぱり、そこまでして俺に謝っておきたかったの?
喉までそんな言葉が出掛かったけれど、堪えた。
「空港まで俺を追いかけてきてくれた貴方をみて、心が揺さぶられました。そして、これを、最後の賭けにしたんです。俺の帰国日時だけ知らせて待っていてくれたら、もうユーリを離さない、って決めていました」
え、今なんて言ったんだ?
俺のことを、離さない?でも・・・・・・。
「でも、先生。結婚してきたんだろ?あの金髪美人さんと。もう、先生ってば俺をからかってるんだろ?結婚おめでとう」
無理やりに笑顔を作ってみせた。本当は、心が泣いていた。だから、きっと、顔が引きつって不自然な笑顔に違いない。
先生は、俺の軋む心を包み込むように、優しく抱きしめてくれた。
「ユーリ!そうですよね。貴方を心配させて御免なさい。初めに言うべきでした。俺は、結婚なんてしていません。俺は、空港で貴方を見つけたときから、心は決まっていました。だから、国へ戻って、上手く話をつけてきたんです。結婚は、俺の兄がすることになりました」
一息つくと、彼は優しく俺の顔を覗きこんだ。さらりと、先生のセピア色の前髪が垂れる。
「でも、心配しないで下さい。兄のほうが、よほど彼女にお似合いでしたから。実を言うと、彼らは惹かれあっていたんですよ。ただ、素直になれないだけのようでした。実際、二人は式の間中、とても幸せそうでしたから。おまけに、俺が出国前一緒にいた女性は、私の母です」
「う、うそ?!先生は、結婚しなかったんだ。おまけに、あんな若くて綺麗な人がお母さんだったの?!」
驚きを隠せない俺に、先生は真剣な表情で向き合う。深いブラウンの瞳は、どこまでも誠実だった。
「ユーリ、今度は貴方に何を言われたって、貴方を離しません」
先生は、色素の薄い瞳を切なげに揺らせていた。凛々しい眉は、顰められる。
「ユーリ、あの日は御免なさい。あなたが俺とのことを恋人ごっこだと言ったとき、俺は大人気なく怒ってしまいました」
俺が、顔を強張らせると、先生は甘く微笑んでくれた。
「でも、誤解しないで。貴方に腹を立てたのではありません。自分に腹を立てたんです。今まで、貴方からラブレターを貰ったとばかり思っていました。でも、それはジュリアからの物だとわかってしまった。貴方も、俺のことを好きだと信じていた。だから、貴方のことを、愛した。それこそ、貴方の身体まで」
ダークブラウンの瞳は、まっすぐに俺を捉えた。けれど、声は頼りなげに少し震えていた。俺の肩を掴む先生の手が、微かに震えている。
「でも、貴方は好きではない俺から抱かれるのが辛かったんですね。だから、俺とのことを恋人ごっこだなんていい聞かせて、つらい気持ちを紛らわせていたのでしょう?俺は、自分がふがいなくて。大好きなユーリをこれ以上傷つけてはいけないと思って、貴方から離れる覚悟を決めたんです。そのとき、丁度結婚の話が持ち上がったので、受けることに決めました。けれど、結局貴方のことを忘れられませんでした」
刹那、先生のブラウンの瞳に、強い意思が宿った。光が反射して、微かに碧色を含んでいた。
「そんなとき、貴方が空港まで追いかけてくれたのを見てしまったから。もう、覚悟を決めました。自分勝手だって思うけど、例え貴方が俺のことを好きでなくても、俺の側にいてほしいって思ったんです」
もう黙ってなんていられなかった。俺は、機関銃のように溢れる想いを捲くし立てた。伊達に、トルコ行進曲なんてあだ名があるわけじゃない。
一度身体を離すと先生の両腕をぎゅっと掴んで、先生を見上げた。
「先生、俺、先生のこと大好きだよ! 本当に大好き。恋人ごっこだなんて言ったのは、俺の誤解だったんだ。だって、俺から告白したわけじゃないのに、先生が『俺も好きだよ』なんて言うから。ジュリアさんが先生に手紙を出してて、それを先生が俺からのラブレターだなんて勘違いしていると知らなかったんだ。だから、赤点を取った俺が勉強する気になるように、先生が恋人ごっこをしてくれるんだって、思ったんだ。初めは、その恋人ごっこに付き合ってるだけのつもりだったんだ。でも、気がついたら、もうずっと先生に惚れてた・・・・・・コンラッド先生、好きだよ。」
一呼吸おいて、大事なことを伝えた。
「間違っても、先生に抱かれるのが辛くて『恋人ごっこ』の振りをしたなんてことはないから!だって、俺、先生に触られるの好きだよ?」
「―― ユーリ、貴方は本当に困った人だ」
先生は、目を丸くして俺を呆然と見つめた。
「―― 可愛すぎて困ります」
その瞳が、柔らかく甘く細められると、彼は唐突に俺を横抱きにした。
って、これ、お姫様抱っこじゃん~~!
空港中の人がこっちを見てるよ~!
いや、よく考えたら、今の今までもこんな空港のロビーのど真ん中で、散々恥ずかしいことを喚いていたわけだけど~!!ギャラリー増えすぎ~。
「ユーリ、迎えの車が下に来ていますから急ぎましょう」
「こ、コンラッド先生~!ちょ、ちょっと恥ずかしいから降ろして?」
そっと、先生を見上げると、ちょっと意地悪な顔をした。
「駄目です。もう貴方を離しません」
ぞくっとするような甘い声で、耳元で囁かれた。
「ンやっ」
甘い吐息が耳を掠めて、思わず身体を捩ってしまう。
「ユーリを、俺の好きにしてもいい?」
熱のこもった掠れる声で囁かれた。思わず顔を上げると、先生の甘い微笑の中に、野生的な情熱を垣間見た。
もう、それだけで身体が熱く火照っていった。
「うん・・・・・・」
素直にそう返事していた。
先生の腕に抱かれて、その甘くて凛とした香りに包まれて、眩暈がした。
表 =完了
裏の入り口、右下、英語
無駄に、長いですが≪汗 大人の方だけお願いします。
★あとがき★
拍手下さるかた、ありがとうございます。
励まされて、なんとかここまでは書き上げられました。
なんか、こんがらかって訳がわからなくなってませんか?それが、心配です(汗
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